一般的に建立される、『和型墓石』と『洋型墓石』です。五輪塔なども建立されますが、最近では自由な発想で、形式にとらわれないデザイン墓石を建立されることもあります。(地域によって異なった形の墓石もあります)
真壁石とは!
真壁石は茨城県真壁地区(真壁町・大和村)で採掘される石です。
墓石にもっとも適しているとされ、長い間の風雪にも耐えられます。
きめ細やかで、やさしい色をしています。
墓石の生産量日本一を誇る真壁石。
この石なら和型墓も、洋型墓もいつまでも美しいままですね。
お墓に訪れる人をそっと安堵の気持ちにさせてくれる、それが真壁石の特徴でもあります。
お墓は、これまで『○○家之墓』の形が主流でした。最近では家族形態が、多世代同居家族から核家族へ変化し、それと同時に、お墓も家単位から個人単位へ変化しつつあります。『○○家之墓』というよりも、個人が好きな言葉や(絆、愛など)、生前の趣味を(ピアノが趣味の方は音符を、スキーが趣味の方はスキー板を)墓石に刻む方も少なくありません。
470年前に作られたお墓の墓石より、昭和63年に発見された経筒の現代版として、当社は現代工法にマッチした製品として、耐震性を持たせ、墓石のずれを永久になくす工事を行っております。
出来上がった後は、ご家族の方と一枚の写真だけが、いつまでも家の家宝又は家訓として語り継がれるでしょう。これは、既に出来ている墓石にも取り付けることは可能です。宗派によって、般若心経、南無阿弥陀仏、南無法蓮華経、の3種類を選択することが出来ます。
使用する石の種類は、基本的に石塔と同じ石を使用し、建墓年月日、建主様のお名前を彫刻して納めます。
100年後、200年後の改修時、いかにご先祖様を大切にしていたかを偲ばれることでしょう。
古来より、土に歸ることが最良のこととされております。
火葬場より、お戻りになられた御納骨は49日忌明けの法要の後、納骨袋に納め、早く土に歸るようにしてあげましょう。
骨壷のままで2、3年過ぎると中は水で一杯になってしまします。
一番大切な方が、冷たい水の中ではあまりにもかわいそうではありませんか。
一般的な墓石に使われる書体は、「楷書体」・「隷書体」・「行書体」・「草書体」の四種類があげられます。また、自筆のものや書家に依頼したものでも刻めます。
ちょっとコメント!
お寺の墓地では宗派の決まりがあります。
例えば「戒名」は宗派によって独自の決まりがあり、浄土真宗や日蓮宗では「戒名」といわず、「法名」や「法号」といいます。
「満つれば欠ける」という言葉があります。
すくなくとも現代の日本は、あらゆる面で発展の極に達しているといえるでしょう。
たしかに、ひとびとの暮しのうえで、まだまっだ貧富の問題も、納得できるような公平さで解決しているとはいいがたいものがあります。けれども、まともに生きていれば、なんとかなるという感じは持っているともいえそうです。そして、満ちたがために生じたと思えるような事件も目につきます。そうしたなかに、資源の枯渇、天変地異の予想、等々未来への不安感がしのびよっていることも事実です。
仏教では「末法」という考えかたをします。お釈迦さまが教えを説かれてから五百年のあいだは、教が正しく行われる「正法」の時代、つづく一千年は、教を守ることが形式的に流れる「像法」の時代、そして、そのあとは一万年余におよぶ「末法」の時代が来るというのです。
尊いお釈迦さまの教えですから、この時代に生きるものたちには、一筋の救いの光明ですら射すことがないという、時代が予想されているのです。仏教でいう末法の様子のなかに、「五濁」という考えかたがあります。悪い時代には、この五つの濁りがひどくなってくるといいます。では、「五濁」とはなにか。
一、「劫濁」 | 時代や社会が濁って、災厄や争いなどが多くなってくる事です。 |
ニ、「見濁」 | まちがった考えかたや、悪い思想がはびこることです。 |
三、「煩悩濁」 | 貧(むさぼり)いかり(いかり)癡(おろかさ)など、人間が根本的に抱く煩悩が、はげしくなってくることです。 |
四、「象生濁」 | 人間が心身ともに程度が悪くなってくることです。 |
五、「命濁」 | 間の生命が次第に短かくなってくる事です。 |
この五濁の説明を味続していただくと、いくつも胸にひびくところがあるでしょう。仏教のいう末世の濁のさまが現代に合致していることを慨くのではなく、そうしたひとつひとつの悩みや苦しみを離れて平和に、仲良く、豊かに、自由に、生きることがのぞましいと考えます。
この時代に人間のできることは、仏様を信じ、先祖をうやまい、正しい供養が行われてこそ、心がやすらかになり、安楽に生きて死後は彼岸に到達するのではないでしょうか。
合掌
最近、あるお寺の御住職の話ですが、檀家より「お墓が建ったので開眼供養をしてほしいというので、お経をあげに行ったら○○家之墓になっている。苗字に向かって、いったい何のお経をあげ、何を拝めというのだ」と話しておられた事を聞きました。
御住職は、「そのような拝む対象(仏様の調刻)のない墓に向って、それを何だと認めて、お経をあげて、礼拝、合掌するのだ」と問題提起されているのではないでしょうか。
お墓とは…
死者の亡骸や、お骨の埋葬し聖なる大地に帰すところが墓地であり埋葬した上に立てる木製の仮の塔を墓標といいます。墓標には必ず仏文字が書かれておりますのに、石塔を建立するときは仏文字を刻まないのは何処か?考えた事はありませんか。
私達は亡き人の、御通夜やお葬式の時、僧侶の方々より。お経をいただきます。そのなかに「三宝礼」という、お経があります。
一切恭敬・自帰依仏・当願衆生・自帰依法・当願衆法・自帰依僧・当願衆生 |
この経文の意味は、
「一切の三業(身・口・意のはたらき。身と口の意のなす好意)を尽くして、自ら邪師を捨てて正師である、み仏に絶対の信仰をささげ、よりどころといたします。」という事なのです。
僧侶は一人前になるためにしかるべき本山にて、所定の課程として修業します。そして、檀家の葬儀や法要の導師をつとめます。葬儀とは死者が戒名をもらって仏弟子になった儀式ですから仏教の教えを説き引導を渡します。僧侶とは亡き人に向って手を相せ読経するのではなくあくまで御本尊にするのです。間違いをなさらない事です。
人間は、亡き人の追善供養の為にお墓を建立します。ですから、自からの信ずる宗派の教理に則した、お墓を建立しなければ意味がありません。
墓石には、梵字や円相(仏種子と言う)を彫刻され、宗派の経典や、「南無阿弥陀仏」、「妙法蓮華経」等の、ご本尊をお迎へしてあるからこそ、ご先祖や亡き人を安心して祀ることが出来るのではないでしょうか。
各宗派のご本尊を正しく墓石に祀るには、聖なる白亳(仏さまの額で無こう光の発せられる)位置に「仏種子」をどのように刻めばよいか、又どのようなお経を納めればよいか、当然各宗派により異ります。
宗派に即した正しいご本尊をお迎へし経文石を納める事が最も肝要ではないでしょうか。
伝教大師(最澄)は、十九歳の時に東大寺で戒をを受け、同年に比叡山に一乗止観院(のちの延暦寺)を建て、ここで法華経、金光明経、般若経などを研究し、延暦二〇年に、法華の思想を天下に公表し、独立の一宗を建てました。大師は延暦二三年、中国に渡り天台山の国清寺で「摩訶止観」を学び又竜興寺で密教を学んで帰国しました。大師は延暦寺に法灯を揚げ
あきたけくのちのほとけのみよまでも
ひかり伝えよ法のともしび
というお歌をのこしました。この法灯は千二百年余の今も永遠に比叡山に光り輝いております。
ご本尊は①薬師如来 ②大日如来 ③阿弥陀如来のいずれでもよく、墓石の上部には[①ベイ ②ア ③キリーク]のどれか一字梵字を彫刻史、ご本尊を表します。経典は「法華経」「阿弥陀経」等経文石は「般若心経」を納めます。
弘法大師(空海)は、千二百年余年前今の香川県善通寺市に生まれました。十五歳の時都にのぼり、中国の学問を学び十八歳のとき大学に入って専門的な学問を学ぶうち仏教に深い関心を寄せるよういなり、大学を中途退学され、在家のまま信者となって仏教を学び、特にある出家者から虚空蔵求聞持法というきびしい修行の方法を学びました。
大師は二十歳の時、槇尾山寺で戒を受け得度いたしました。その後奈良の六宗の教学を学び仏教の根本思想を探究されました。又大和の久米寺で「大日経」という真言密教の根本経典を発見し、この「大日経」こそさとりへの道を説いたすぐれた経典であると気づきました。
延暦二十三年大師三十一歳のとき、念願の中国に渡り、首都長安に行き、青竜寺の恵果和尚より密教の秘法を授けられることになりました。
大師三十二歳の時、学法灌頂壇に入り、胎蔵界の灌頂を受け、この時大師は曼荼羅に投華して、華が中台の大日如来に落ちたので、この投華得仏の緑により「遍照金剛」と称するようになりました。
又大師は金剛界や伝法阿門梨等の灌頂を受け、密教の秘法をすべて相承。帰国して真言宗をわが国に開かれました。
南無大師遍照金剛
ご本尊は大日如来です。
墓石の上部に[①ア:胎蔵界 ②バン:金剛界]どちらか一字梵字を彫刻しご本尊を表します。(一般にはア字が多く刻まれます。)経典は「大日経」と「金剛頂経」経文石は「般若心経」を納めます。
円光大師(法然)は、千五百余年前比叡山で浄土宗を二五歳まで修業しました。
浄土宗とは、仏教のうちの来世信仰のことであり、この世を穢土と見て、仏教を信仰すると仏の力で理想的世界へ往生させてもらえるという他力信仰であります。往生とは仏の国へ往って生きることであり自分が仏になる「成仏」のことではありません。往生する先は進行により種々ありますが浄土信仰は阿弥陀の極楽浄土です。晩年、大師は洛東吉水で浄土宗の教えを発表し、それは口で「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで他の行は一切いらないというものです。大師は比叡山における諸行の中から「称名念仏」を選び、天台宗より独立しました。
ご本尊は阿弥陀如来です。墓石の上部にはキリークの梵字を彫刻史ご本尊を表します。経典は「阿弥陀経」、経文石は「般若心経」を納めます。
見真大師(親鸞)は、比叡山で浄土宗を修行し、後に法然上人の御弟子になりました。大師は法然上人の数を天台宗の浄土教から区別する意味で浄土真宗という宗派名にしたかったと思います。昔は一般に一向宗と呼んでいました。江戸時代に宗名を浄土真宗に改めたいと願い出たが増上寺(浄土宗)の反対のため認められず後年(明治五年)浄土真宗と改めました。
浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来です。
真宗では梵字は一切使いませんので「南無阿弥陀佛」以外刻む文字はありません。親鸞聖人(見真大師)は、弥陀の本願力によって救われるという他力本願を脱きました。これは南無阿弥陀佛を唱えれば、即成仏でき不退転しないという教えです。真宗では本来霊の追善供養は認ておりません。他宗での自力の行を、真宗では雑行として戒めています。
経典は「浄土三部経」経文石は「浄土三部経」の一部を彫刻して納めます。
立正大師(日蓮)は千葉県安房小湊に生れ比叡山で法華経を学び、種々の苦難の末大師は日本一の法華経の行者をもって自任しております。後年大師は釈迦がインドの霊鷲山で法華の教えを説いた時に、その場で教えを聞いた上行菩薩の生まれ変りであるといっております。
大師は釈迦の精神は法華経に尽くされているから法華経のみが真実の教えであるとし、これに帰依する者は、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えるだけで、七難即生すると説きました。
釈迦は三五歳で悟りを開き、八〇歳で入寂した歴史上の存在ではなく、永遠に過去に仏になった(久遠実成の仏)の存在である。人は死ぬと生前の信仰により、霊鷲山で釈迦が法華の教えを説いている場所へ行って聞法することができると説きました。南無妙法蓮華経のお題目を唱える者は、天照天神、八幡大菩薩をはじめ日本中の神々が護って下さると信じ立宗し「日蓮宗」が開かれました。
日蓮宗では正面に「南無妙法蓮華経」とお題目を彫刻するのが多いようです。「南無妙法蓮華経」の文字の中には、大日如来・薬師如来・釈迦如来・不動尊等八萬四阡の仏・べてが包含凝縮され表現されています。お題目そのものが、御本尊であります。墓石の上部には梵字の変りに「妙法」を彫刻します。経典は「法華経」経文石には「如来寿量品第一六・方便品第二」を納めます。
禅とは、禅邦の略これはインド語でジャーナ、意味は静慮「静かに物を考える」ことです。
禅宗の僧侶は、釈迦が坐禅して仏になったのだから、われわれも自分で坐禅をして。悟りを開いて仏になろうと努力するのであります。
ご本尊は釈迦如来です。
禅宗では、梵字を使うかわりに、表相符号により、「法(ダルマ)」を表現します。その最たるものが円相(○)です。円相は捏槃相であり、また無相三昧の仏性を表しています。禅宗では外にも記号がありますが、円相は最高の極意であり理仏性理ですから墓石の上部に表現します。円相は一筆記号であって福徳円満の相であり、しかも円は、どの地点でも、始点であり終点であり、無限であり空である事を表します。
つまり「般若心経」の世界です。
人間の心に宿している仏性「如来蔵」は限りなく仏の知恵に近ずくための努力「菩薩行」を行うのが、五智であり「大圓鏡智」表わされる禅の止観ではないでしょうか。経典は「観世音菩薩普門品第二十五」「修証義」「消災呪」経文石は「般若心経」を納めます。
以上ご説明申し上げましたように、御供養の方法やお墓の建て方は宗教・宗派により違ってくるのは当然です。又、人間だけがなぜ墓石を必要とするのかというば、信心を発し苦提を求め仏道に入って解脱の彼岸に到る事を願うからです。墓石の竿石は、仏さまを表現して、祀っている石ですので「仏石」と呼ばれています。この墓石の形は、五輪塔が略式されたものだと言われています。
つまり戒名を彫るための五輪塔の地輪が墓の竿石に当り、それが拡大して、現在の角柱墓になりました。
仏石は、正面が発心門、向って左を修行門、裏面が菩提門、向って右側が涅槃門であって、基本的には各門が独立していて四方共正面です。
発心門には、白毫の位置に仏種子を彫刻し、前文字は○○家先祖代々、又は○○家、等が良いとされています。宗派によっては、六字の名号やお題目しか彫刻しないところもあります。
又戒名は、右面の涅槃門が残り三面の上位になりますので相続者の夫婦の戒名のみを彫刻します。一杯になれば菩提門にまわります。向って左面は非相続者(子供や独身で亡くなった人)の戒名を彫刻します。彫刻は死亡順位ではなく相続順(祖父、祖母、父、母、等かならず戸主が妻より先)に彫刻して下さい。
非相続者は死亡順位でもけっこうです。又仏石には建立者や年月日が彫刻されているのをみかけますが、出来れば上台石の後が左側にしたいものです。聖なる白毫に仏種子を彫刻し、経文石の入った墓石、又竿には順序正しく彫刻された戒名これが正しい祀り方ではないでしょうか。お墓は正しく祀られてこそ人々に菩提心が生れ、先祖は成仏すると供に、一族の繁栄が約束される事と確心いたします。
すべての宗派に共通して最高の供養塔とされている五輪塔は、それ自体が宇宙であり、ご本尊であり、如来を表しています。五輪塔本体に刻む文字は、仏文字、戒名だけであり、俗名、建立者名など一切刻みません。又戒名は地輪に彫刻し、そこが竿石にあたります。五十回忌、三十三回忌以上の先祖の戒名を彫刻する事が原則です。五輪塔は、一般的に正面が発心門、向って左を修行門、裏面が菩提門、向って右側が涅槃門であって、基本的には各門は独立していて、四方ともが正面です。
「発心」は仏に成ろうと願をかける。
「修行」は仏に成ろうと行をする過程道中。
「菩提」は仏に成る手前
「涅槃」は仏に成ったという意味です。
宗派によって仏文字の書き方がちがいます。
埋葬は、現代は火葬がほとんどです。昔は土葬でした。死者はすべて母なる大地に返したものでした。
お釈迦さまの教えの中に、「諸行無常 諸法無我 一切皆苦 涅槃寂静」というお言葉があります。その中で諸行無常とは、すべてのものは、不変ではなく、不滅でもありません。必ずなくなっていくものであるという教えです。人は何百年も生きられません。お骨は聖なる大地に溶けて返さなければ意味がありません。
遺族の方々は亡き人への哀惜の情のため骨壺のまゝお骨を墓へ納める人が多いですが、まったく仏教に対して無知であるといわざるをえません。土の中が浄土なのです。お骨を土へ帰すためには、お骨は骨壺からサラシのお経袋に移して納骨して下さい。お骨を墓へ納める作業は、お寺や僧侶は一切いたしません。石材店もお墓を建てるとそれで終りがちですので、どうしても骨壺のままお骨を納めることが多いのです。大切な遺骨は、遺族の方々の手で正しく土へ返してあげてください。
仏教では三十三年、五十年経てば、亡き人は「成仏」して租霊に戻られるといっているのに何年過ぎても、お墓の中に、お骨がそのまま残っているのは、「成仏」が出来ないと言うことではないでしょうか。
宗教・宗派に即した正しい墓を建てても、建てっぱなしではせっかくの幸も逃すことになりかねません。
墓参はお寺参りとちがって、信仰ではありません。それは子孫としての義務であり、相続人たる者の役目ではないでしょうか。
合掌